観たもの、2014年7月
いまさら。
東京シンフォニエッタ定期演奏会
曲目はジョージ・ベンジャミン、マグヌス・リンドベルイ、ジェラール・グリゼー「周期」、ヤニス・クセナキス「ジャロン」。
残念ながら聴けたのは休憩後から。元々目当てはその休憩後の二曲だったこともあり、それでも十分に満足感のある演奏会だった。生演奏で聴くグリゼー作品は凄い、スペクトル解析に基づいて作られたオーケストレーションの中で各楽器同士の音の境界は曖昧になり、空気がドロドロに溶け出していくような印象を与える。もっと演奏機会が増えて欲しい。クセナキスの「ジャロン」の中のクラスターはさまざまな楽器・音高の組み合わせによるサウンドの違いが探求されていて、飽きさせない。録音ではなかなかわからなかった。
東京シンフォニエッタは流石にエキスパートで、安心して聴いていられた。
調布音楽祭「ブランデンブルク協奏曲」
BCJ の実演に触れるのは初めてだった。編成が曲ごとに大きく変わるこの曲集を六番から逆順に演奏していっていた。こうすると段々編成が大きくなっていく。序盤の曲の編成にはこの会場は大きすぎた。前から七列目辺りで聴いたのにも拘わらず、かなり遠くて薄い響きだった。
鈴木雅明氏の見事なソロが堪能できた五番、寺神戸氏の言葉を語るようなアーティキュレーションに聴き入らされた四番が印象的だった。でも特に素晴らしかったのは一番。鈴木氏の解説によるなら、この曲ではホルンは王をダブルリード楽器は民を表していて、曲の最初では足並みの揃わないそれらが最後には調和して共に踊る、ということだった。ホールで聴いたこの日の演奏はまさにその通りだった。特に一楽章なんて、ごちゃごちゃしたよくわからない曲だなぁとおもっていたものだけれど。
新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
新音楽監督のメッツマッハーは就任した最初の年をの演奏会を「ベートーヴェン+ツィンマーマン」という構成で固めてきている。ツィンマーマンは現代音楽の作曲家の中でも、脚光を浴びてきたとは言えない人だと思う。
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ハーデンベルガー氏のトランペットはただただファンタスティックだった。この作曲家を特徴付ける多様式主義による急激な曲調の変化に寄り添い、微妙な感情の揺らぎを描き出していた
ハーデンベルガーのトランペットを聴いて、もう元は取れた、帰っても良いかな、といったくらいの気持ちで休憩中はいたのだが、後半の「英雄」の最初の二つの和音を聴いた瞬間にそんな考えはどこかへ消えた。新日フィルからこんなに重くそして引き締まったサウンドを聴いたのは初めてだった。基本的なテンポはピリオド系同様にかなり速いが、ところどころで大胆にテンポを動かす
任期に就いたばかりなのにメッツマッハーがこれほどオーケストラから充実したサウンドを引き出していたのは驚きだ。このスタイルのベートーヴェンがこれからしばらく聴けると思うと楽しみ。
展覧会「ジャン・フォートリエ展 絵画なのか」東京ステーションギャラリーにて
前回のエントリで触れたもの。
新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
この演奏会では演奏会場を間違えるという大ポカをやらかしてしまい、一番楽しみにしていたツィンマーマンの「私は振り返り太陽の下で行われた全ての不正を見た」を聴き逃してしまった。日本初演の、当分は再演のなさそうな作品……大いに悔やまれる。演奏会場を間違えたことは実のところ一度ならずあったが、ずっと楽しみにしていた曲目を聴き逃したというのはあまりなかった。気を付けねば……。
さて、そんな次第で間に合ったのは結局ベートーヴェンの第五交響曲だけだった。でもこれがまた充実した演奏だったので、けっこう納得して帰った。
基本方針は前週の「英雄」と同様。一楽章はかなり早くてオケの方もついていくのが大変そうだった。あとこのオケのトランペットの方はいつもそうだけど、もうちょっと大きな音を出して欲しいななんて思ったりする。まぁでも納得の演奏です。聴き飽きるほど聴いたはずだけど、やっぱり四楽章に到達したときはジーンと来る。短調の楽章でのとても暗く深い響きもまたそれを引き立たせていた。
映画「リアリティのダンス」
ホドロフスキー監督の最新作。前月に観た「エル・トポ」には本当においてけぼりにされてしまったから少し身構えて行ったけれども━━確かに強烈なイメージに満たされていたものの━━拒絶するようなところはなく、暖かく深い人生賛歌だった。
この映画はとても印象的で二回観に行った。また別に書こうと思う。
映画「パラダイス」三部作
このシリーズで描かれるのは「パラダイス」というよりも「パラダイスを求める人々の苦闘」。ドキュメンタリーてはないけれども、徹底的な取材と柔軟な製作手法の上に物語は現実の手触りを獲得している。
無機的な冷たさを感じるカメラワークは効果的な時もそうでない時もあったように思う。
展覧会「バレエ・リュス 魅惑のコスチューム」新国立美術館にて
壁を取り払った展示室の一面に衣装が並んでいたのは壮観だった。しかしこういうものって近くで観るようには作られていないんだなぁとは思ってしまった。カタログも買ったけれど、こちらの方が照明とかうまく当てられてて綺麗だ。
バレエ・リュスにもやっぱり成功した作品とそうでないものがあったのは当然ながら、あまり知られていない作品の衣装がたくさんあったので興味深かった。
展覧会「デュフィ展 色彩のメロディー」Bunkamuraザ・ミュージアムにて
たまたま渋谷で時間を潰す必要が出てきて観に行ったのだが、これがとても良かった。
この人の作風の特徴はは輪郭線から解放された色彩の塗り方にある。描かれた対象の中にあるものが溢れ出るかのようだ。色彩の塗り方は大まかにものを捉えて荒々しくすらあるけれど、緻密な輪郭線がその上に乗って形をくっきり浮かび上がらせることで繊細さとエネルギッシュさが両立されたえも言われない表現が産まれる。
特に覚えているのはパリの四季を描いた四部作、そして科学の進歩の歴史を年代記風に描いた巨大なフリース画風の「電気の精」。後者に溢れる文明礼賛は今日の目では何とも無邪気に映るが、眺めているとここに籠められた夢に対する共感が芽生え、そして素直に受け止められなくさせる人類の歴史の流れにあわれを感じる。
映画「収容病棟」
どう考えてもこれ治療施設として機能してないよね、という中国の精神病院のドキュメンタリー。よくこんな施設の撮影許可が降りたな。収容されている人は精神病の段階を問わず同じ処遇で、のみならず思想上で反動的とされた人までいるようだった。中国の暗所がばっちり出てる施設である。
このワン・ピンという人の基本方針のようだが、音楽などは何もつけず、ただ素の姿を写し続けようという方針で作られていた。食事のシーンも暴れるシーンも排泄のシーンも垂れ流し。ただ画面に映される事実に圧倒される。