電波塔

21世紀型スノッブを目指すよ!

三月

「観たもの」が昨年の8月で止まっており三日坊主っぷりを露呈してしまっている。そのうちまとめて書こうかとも思ってはいるけれども……。もっとも、助かることにというか? 2015年の3月はあまり観に行ったものがない。

観に行った展覧会

三菱一号館美術館の「ワシントンナショナルギャラリー展」に行った。印象派が中心だったけれど、きっちりとナビ派の作品を締めに持ってくる辺りがこの美術館らしい展示だと感じた。主に観たかったのはポスターにもなっていたルノワール、特に、その人が纏う魅力が絵に封じ込まれているような女性肖像画だ。視線に愛情を感じて幸福な気分になれる。

最初の週にあった本番

友人が主催するソロ曲おさらい会でハイドンの協奏曲を演奏した。ピアノの伴奏は学部時代の友人に頼んだ。彼女は学業も優秀だけれどもピアノもヴァイオリンも凄い技量で、私みたいなぺーぺーとは釣り合わないのだけれども、プログラミング実習なんかで一緒に苦しんだよしみでやってもらった。合わせをやっていて、何となく私が「こんなもんかなぁ」って思って次に進もうとしたら「こんな風にも出来るけれど」といろんな解釈を示してくれて、楽しかったし勉強になった。
もちろんソロを吹く自分の方が頑張る必要があって、客観的に言って満足すべき出来だったとは思わないけれども、ちょっとずつ進歩が出来てるかなという感触はあった。古典派の作品にこういう風に取り組むのは初めてだったけれども、自分なりに楽譜や資料を読んでいろいろと考えはした。半年前だったら考えているだけで終わっていたこともある程度は音に出来たと思う。

次の週

知り合いの演奏会があったのだが、わざわざこんなことを書かない方が良いのかもしれないとも思うが、行かなかった。というのも私が大好きな、ストラヴィンスキーの最高の作品の一つである(バーンスタインが述べたようにこの作曲家には最高の作品がたくさんある)ペトルーシュカを演奏するからで、昔一緒に演奏した人たちあまりに多く乗っているので仲間外れな気分になろうと考えたからだ。別に彼らにそんなつもりは無いだろうけれども、羨ましいを通り越して妬ましい気分になりそうだったから、家でCDを聴いていることにした。それもクラシックじゃないやつ。
参加した人たちのツイートをSNSで見るだけで気分が翳りそうになったので、この選択は正しかったと思っている。

さらにその次の日

あまりに不公平な乗り曲配分に腹を立てて辞めたオーケストラの演奏会があった。曲目は「エスタンシア」に「シンフォニック・ダンス」に、結構楽しそうだった。メインはスター・ウォーズのテーマ曲だったが、11月に私はジョン・ウイリアムズづくしのプログラムをやったし、これはまあ良いか。
このオーケストラの Tp. パートは団長の昔からの知り合いで固められていて、面白い曲は全て昔からの知り合いで回されていた。曲自体は面白いものをやるからエントリーするのだけれども私に来るのは一番最初の小曲ばかりだった。もう一人別の伝手で乗ったらしい人がいたけど、彼女にも全然曲が回っていなかった。ふざけるなと言って辞めてしまった。謝罪のメールすら来なかったから、厄介払い出来て良かった、というところだったのだろう。腕前や参加意欲に明らかな差があるならまだ理解できるが、他のメンバーに比べて別段技量が劣っているとは思えなかったし、私は欠席もほとんどしなかった。
私が辞めた時の演奏会のプログラムにはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」が含まれていた。これは私がクラシックを始めて聴いた頃から聴いていた愛着のある作品だ。今でもよく聴く作品がこういう不快な記憶と結びついてしまったのは残念だ。
この演奏会についても、参加した人や聴きに行った人の話が TL に流れてきてちょっと気分に良くなかった。結局のところ勢いで辞める程度の団体だった訳だが、あまり気分がせいせいもしていないということに気付いて、もうちょっと良い納め方があったのかもしれないとは思っている。

何にせよ、要するにアマオケ関係の話題を追うのはストレスが多いのだ、と気付いたので、それを見ないための Twitterアカウントを作ることにした。

三月に聴きに行ったライブ

結局観に行ったのは二回で、見知った人たちのジャズライブが二回。一緒に演奏したこともある友人や後輩の演奏で、会った頃から彼らは凄かったのだけれども、そこからもずっと先に進んでいた。たぶん何年かかっても私が彼らに追いつくことはないのだろうと思うのだけれども、不思議と自分ももう少し頑張って音楽やったらもう一段先の楽しさが見えるんじゃないか、という風に思わされる。