電波塔

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リュック・フェラーリ七回"帰"――「ヴァレーズ礼賛」/「砂漠」

 このブログ、アカウントだけ取ってずっと放っていたのですが書いてみることに。

 

 最初だから何か気合入れたものを、というのもなかなかネタが無いので、特に何の変哲もなく、見てきた映画の感想などを。

 8/26は渋谷 Uplink にて表題の通りリュック・フェラーリが監督を務めた「大いなるリハーサル」シリーズの中から「ヴァレーズ礼賛」そしてビル・ヴィオラの「砂漠」という組み合わせの上映会に行って参りました。

 8/18に始まったこのリュック・フェラーリ七回"帰"上映会の企画、足を運ぶのは二度目です。前回見たのは初日の「シュトックハウゼンの『モメンテ』」/「バランスから遠く離れて」の回。そちらの方もなかなかに面白く、前者はシュトックハウゼンの強靭で純粋な音楽に対する信念が伝わってくる良いドキュメンタリーでした。後者は……正直字幕があったほうが面白かったのではないかと。フェラーリが音楽を担当した科学教育番組で、統計力学の基本的な概念を解説しているらしく、まあ多分こういうことを言っているんだろうなあ、くらいのことは大体予測がつくのではありますが。

 いずれにしてもこれは他の回にも足を運ぼうと思いまして、昨日のヴァレーズです。ヴァレーズは二十世紀の作曲家の中でも敬愛を感じる人物で、これは是非観たかったのです。

 

 結論から言うと、この日に上映された二作品は実に心を打つ素晴らしい作品でした。

 まず「ヴァレーズ礼賛」から。

 この企画は元々演奏会のリハーサルに立ち会うべくパリを訪れることになっていたヴァレーズ自身に出演してもらう予定であったのですが、ヴァレーズの死によりそれは叶わぬこととなってしまい、追悼の色を帯びた作品となったようです。クセナキスメシアン、シェルヘン、デュシャン、……といった人々がヴァレーズの芸術や人柄、その音楽史上の功績について語っていきます。彼らの口調はヴァレーズの音楽自体のように、感傷的にはならずどこか淡々とした調子を帯びていますが、畏敬の念に満ちたものです。同時代の音楽家達が語るヴァレーズ像は非常に興味深い。

 後半は「砂漠」の演奏会に向けたリハーサルをするブルーノ・マデルナと中継でその模様を聴くマルセル・デュシャンが交互に映し出されていきます。作品のあるべき響きを目指してオーケストラに檄を飛ばすマデルナ、故人の業績について語る言葉もそこそこに、静かに葉巻をくゆらせながら中継に耳を傾けるデュシャン。対照的に映される二人の姿から、しかしながら共通する不世出の芸術家に対する想いが強く伝わってくる映像でした。

 

 ビル・ヴィオラに関しては私はこの作品で初めて触れました。この上映会に行く前日に http://nono.mond.jp/web-cri/review/1108_suntory-film_v01.htm の記事を読んでおり、多少の予備知識を持ってはいたのですが。

 先に引いた記事にもあるように「砂漠」はヴァレーズの作品の中でも少し密度の薄い作品である、といえるかもしれません。一聴して「アメリカ」や「アルカナ」に比べると(編成が少し小さいこともあるのですが)オーケストレーションにはモノクロームな印象を受けますし、打楽器こそ多様なリズムを刻んでいるものの、管楽器は持続音が多く、比較的動きの少ない音響の場面が多いです。「ヴァレーズ礼賛」の後半でリハーサルの映像を見ていてもそういった印象はありました。

 しかし、この音楽とビル・ヴィオラの映像は相互に補い合って緊張感を持続し、良い調和を見せます。

 「礼賛」の中でメシアンが「ヴァレーズの音楽は自然ではなくて都市の印象だ」と言っていたのに反して全体的に自然の風景が映されているのには、続けて見ると何だか笑ってしまいますけれどもね。

 

 兎にも角にも、騒音のように攻撃的な音響に満ちているのに不思議とエモーショナルなこの作曲家が一段と好きになった一夜でした。文明と科学が過去に人間的と捉えられてきたものをなぎ倒していく時代にあって、それを肯定し音響化した、それも単なる実験ではなく磨きぬかれた作品として残すことが出来た類まれな音楽家です。